明神下診療所のデイケアで何が嫌だったか
あのデイケアで何が嫌だったか。
大きく分けると三つですね。
その1:フィードバックのないことが嫌
その2:スタッフの態度が嫌
その3:参加してるメンバーとの感覚の違いが嫌
お話していきたいと思います。
その1:フィードバックのないことが嫌
明確なフィードバックがあったのはSSTと認知行動療法、あとは中国体操くらいでしたね。あとは全部といっていいレベルでナシ。
たとえば、DVD鑑賞会で何か映画を見るわけですよ。そいで、紙に内容をまとめて感想を書くわけです。それはいい。
で、スタッフに紙を出すわけですが……。返された紙になにか添削があるとか、いい悪いのコメントがついてるとか、そういうのは一切ナシ。
ただコピーをとられて終わりで、そこから何か発展があるかっていうと、それはなかったですね。
だから、やっていてどんどん不安になりましたね。
「自分ちゃんとやれたかなぁ?」「うまく内容をまとめられたかなぁ?」「大きな間違いはなかったかなぁ?」
しだいにそれが疑問へと成長するのに、大して時間はかかりませんでした。
「このデイケアって本当に信用していいのか?」「ここって真面目にやってるのか?」「これって何の意味があるのか?」「ただの時間つぶしじゃないのか?」
でも、そういうことをスタッフや医師に聞いても、答えなんて返ってきませんでしたね。いつも曖昧な、適当なこと言われておしまい。
それじゃあやる気も下がるし、疑問や不安に感じてストレスも増えるし、辛かったなぁ……。
今でもあんな、毒にも薬にもならないことをやってるのかと思うとため息が出ますよ……。
医療である以上、そこには税金が投入されているわけです。それで、就労の役に立つんだか立たないんだか意味不明のことやって、貴重な税金が使われて。
これが、これが、こんなもんがこの国の障害者支援の実態ですよ。
生活保護を叩くより、よほど叩くべきものがあるって僕は思います。
その2:スタッフの態度が嫌
さっきちょろっと出ましたが、とにかくスタッフには参りました。
なにかあると個人面談室に連れてかれるわけです。そして、
「○○さんは何をしにここへ来てるんですか?」「就労のためですよね?」
「ここはたくさんの人たちのやり方や考え方を知って学ぶ場です」
「批判をするところではありません」
「多少のことは我慢して、これからも頑張ってくださいね」
これでおしまい。お前ら真面目にこっちの話を聞く気があるのかと?
それを医師に言うと
「○○君ね、文句は言ってもいい。でも、それが取り上げられることは絶対にないから」
「そういうものだと思って頑張ってね」
と反論されるし。じゃぁこの世に溢れてる意見陳情だの調停だのになんの意味があるんだよ!?
別のデイケア参加者が言ってましたが、スタッフはこっちの話を聞き流すだけで、真面目に取り合う気はなかったですね。
いつまでもこちらを半人前扱いして、子ども扱いして、坊主めくりなんかやらせて、文句を言えば上から下へ威圧する形で言論封殺して。
あれじゃ、いる人間の精神はどんどん毒されていきますよ。
少なくとも僕はボロボロになりました。今でもふとした弾みで思い出して、怒り狂ったり涙が出そうなほど悲しくなったり……。
何度言ったか分からないけど、本当に生きているだけで辛い……。
なんで、治療や訓練の場でこんな傷つけられて、苦しい思いをしなくちゃならないんだ……。
その3:参加してるメンバーとの感覚の違いが嫌
何回か話に出てきましたが、この感覚の違いってすごいきつかったですね。
まぁ、当たり前といえば当たり前で、僕はもともとアスペルガーじゃないのに誤診されて、アスペルガーの集団にいたんだから当然でしたが……。
とにかく、国語的というか、情緒的なことが相手には通じない。自然な心の動き、感情の変化が理解できてないし、説明してもピンときてない顔をしてる。
ちょっと話がそれますが、僕が今の渋谷の先生に出会ったとき、こういう質問をされたんですよ。
「鶴の恩返し、って話は知ってるよね? あれの最後、なんで鶴は主人公のもとを去っていったんだと思う?」
僕はこんな感じに答えました。
「機を織っているところを覗き見してはいけない、という約束だったのに、それを主人公が破って覗いてしまった。それは裏切りであり、信頼を破壊することだから、一緒にはいられないって思うのは当然のことだと思う」
「あと、鶴は人間の女として主人公のもとにいたのだから、機を織ってるときの鶴の姿を見られたくない、そんなみっともない醜い姿を見られたくないという女心もあったと思う」
「最後に、これは5%くらいで思うんですけど……。いくら約束と言ったって不慮の事故ってのはあるわけで、それにそなえて保険の意味で、つっかえ棒なりなんなり内側からかけておく必要があったと思う」
「それを怠って、こういう悲しい事態を招いてしまった、そういう自分のあさはかさ、愚かさを悔いる気持ちというのもちょびっとはあったんじゃないかって個人的には思ってます」
どうも先生は、これだけ僕がペラペラと喋って心情を説明できたことに違和感を覚えられたらしく……。そこから話が始まって、アスペルガーじゃない、アスペルガーだったらこんなに詳しくは説明できないという話に落ち着いたのです。
僕はいまだに謎なんですが、やっぱりアスペルガーの人たちというのは、今言ったような心情の変化、情緒的なことがさっぱり分からないみたいですね。
デイケアの中でも比較的、現実に適応していて能力の高かった人でも、読書会なんかでは「意味がわからない」「何が面白いのかさっぱり理解できない」という言葉を連発していて、僕にはそれが分かりませんでした。相手が理解できないということが、僕には理解できなかったですね。
まぁ……アスペルガー症候群とはそういうものだ、とは分かりますけどね……。話をしたり、いっしょに作業したり、何かの体験や感動を共有したり。そういうことはすごく難しくて、共有しようと頑張り続けた僕はへたばってしまいましたよ……。
もう二度と、アスペルガーやその関係者とは関わりたくないなぁ……。
例によって長くなりましたね……。
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